『ヨブのうめき』
【ヨブ6:9 私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10 私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。6:11 私にどんな力があるからといって、私は待たなければならないのか。私にどんな終わりがあるからといって、私は耐え忍ばなければならないのか。6:12 私の力は石の力であろうか。私の肉は青銅であろうか。6:13 私のうちには、何の助けもないではないか。・・・】①ヨブは、神様を信じており、神様の憐みをも知っていました。しかし友人エリファズが、ヨブを「罪人」と責めた時、彼は「自分の正しさを」を切実に訴えたのです。人間は、理性では分かっていても、苦しみの中では「うめき」ます。そのうめきを受け止めてくれる友人を持つ人は幸いです。しかし、もしそのような友人がいなくても、主は聞いておられるのです。
『信仰の成長は、愛の成長』
【Ⅱテサロニケ1:3 兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。・・・1:11 そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。】①パウロは、テサロニケの人々の「信仰の成長」のために祈っていました。信仰の成長のバロメーターは「愛の成長」です。・・・愛の成長は「人間の頑張り」ではできません。「聖霊」が心に触れてくださることによって、起きる恵みなのです。
