2月12日レビ記1-3章 マタイ27:45-66

『全焼のいけにえ』
【レビ1:3 もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が【主】の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。】①全焼のいけにえは、完全に焼き尽くされなければなりません。本当の礼拝とは、全て捧げ尽くすものなのです。牛に手を置くことは、この牛は自分自身であることを現しています。あなたの礼拝は、すべてを捧げ尽くす礼拝ですか。生焼けではいけないのです。自我が残り、悪臭を放っていてはいけないのです。

『キリストの苦しみと私たちの救い』
【マタイ 27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。】①イエス様は、天の神様と完全な交わりを持っておられたお方でした。しかしこの時、罪人と同じ立場に立たされ、神様から見捨てられる、神との完全な断絶を体験されました。これは非常に恐ろしいことです。この絶望は、普通の人間には、到底耐えることはできません。イエス様は「そのような苦しみ」を背負うことによって、「私たち」を罪から救い出してくださったのです。

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