4月26日Ⅰサムエル26-28章 マルコ14:53-72

『主の正しい裁きに委ねる』
【Ⅰサムエル26:8 アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」26:9 しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。【主】に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」26:10 ダビデは言った。「【主】は生きておられる。【主】は、必ず彼を打たれる。彼はその生涯の終わりに死ぬか、戦いに下ったときに滅ぼされるかだ。26:11 私が、【主】に油そそがれた方に手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。さあ、今は、あの枕もとにある槍と水差しとを取って行くことにしよう。」】①ダビデは、何度もサウル王から殺されそうになりました。しかし、彼は自分で裁きを行おうとは思いませんでした。彼は主を信頼し、「主の正しい裁き」に自分の人生をゆだねていたのです。この姿勢が信仰者には大切なのです。

『ペテロの醜態とイエス様の心』
【マルコ14:70 しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」14:71 しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。14:72 するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。】①ペテロは、イエス様が裁判を受け、ひどい扱いを受けている時、議会の庭で「おまえはイエスの仲間だ」と言われました。ペテロは混乱し、自分を守るため「私は知らない」と三度も言ってしまったのです。それはペテロが「絶対にしない」と否定した言葉でした。人は仕方がないというかもしれませんが、ペテロ自身は「自分自身を赦せない」ほどの行為だったのです。イエス様は、そんなペテロを赦されたお方です。イエス様の愛を知りましょう。イエス様の「大きな愛」を知って初めて、「自分の弱さ」を「正直に認めること」ができるようになるのです。  

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