10月6日イザヤ23-24章 ヘブル10:1-18

『主を信じる者の喜びと、悪の裁き』
【イザヤ24:14 彼らは、声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから【主】の威光をたたえて叫ぶ。24:15 それゆえ、東の国々で【主】をあがめ、西の島々で、イスラエルの神、【主】の御名をあがめよ。・・・
24:21 その日、【主】は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。24:22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。24:23 月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の【主】がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである。】①終わりの時、神を信じる者は、心から神を崇め、悪が滅びることを目撃します。②終わりの時は、信じる者には「救いの時」ですが、悪人にとっては「裁きの時」なのです。その後、主イエスがすべてを治めるようになると、聖書は預言するのです。・・・聖書には「世の終わり」が記されています。それは確実にやってきます。あなたは、「その備え」ができていますか。

『キリストの罪の赦しの代価』
【ヘブル10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、10:13 それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。10:14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。10:15 聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」10:18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。】①キリストは、「十字架」で、ただ一度ご自身を捧げられたことによって、すべての罪の赦し(贖い)の代価を支払われました。そのため、キリスト以降は、罪の赦しの為の代価(いけにえ)は不要になったのです。キリストの時代は「律法」が「信じる者の思いに書きつけられる」時代です。それは「形だけの信仰」ではなく「真心から主を愛する」信仰なのです。

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