『主はわが巌、わがとりで』
【Ⅱサムエル22:1 【主】が、ダビデのすべての敵の手、特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを【主】に歌った。22:2 彼はこう歌った。「【主】はわが巌、わがとりで、わが救い主、22:3 わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。22:4 ほめたたえられる方、この【主】を呼び求めると、私は、敵から救われる。」】①主はダビデを守り、ダビデと同じように主に頼るも者を、助けて下さいます。今、苦しみの中や迷いの中にあったとしても、助けられた後には「主への感謝」を告白できるのです。ダビデと同じように「主はわが巌、わが砦、わが救い主・・・」と告白しましょう。乗り越える前も、その後も、同じように告白しましょう。主はそのようなお方だからです。
『役に立ち、実を結ぶ者』
【Ⅱペテロ 1:5 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。1:9 これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。】①多くのクリスチャンは「主に役立つ者」になりたいと考えています。しかしそれは、一足飛びに出来上がるものではありません。毎日の生活で、主に応答し、コツコツと積み上げた結果として出来上がるものなのです。「努力」が必要です。しかしそれは、イエス様への愛を動機としての努力であり、人々への愛を動機としたものなのです。