『造り主だけが助ける力を持っておられる』
【イザヤ 17:7 その日、人は自分を造られた方に目を向け、その目はイスラエルの聖なる方を見、17:8 自分の手で造った祭壇に目を向けず、自分の指で造ったもの、アシェラ像や香の台を見もしない。】
①イザヤは、諸国の裁きについて語っています。
その裁きの中、神の民の中のわずかな人々が、人間が作った「神々」に頼ることを止めて、造り主である「真の神」立ち返ったのです。
②本当に助けて下さるのは「造り主」だけです。そのことに気がついた者は、「造り主」に立ち返ります。人間は、苦しみを通じて「偶像」には、助ける力がないことを悟るのです。
『心の奥底の聖めと主との交わり』
【ヘブル9:7 第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけ入ります。そのとき、血を携えずに入るようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。】
〇第二の幕屋は「至聖所」と呼ばれ、神の臨在を象徴していました。選ばれた大祭司が、年一回だけ入ることができた特別な場所だったのです。その時、必ず血(いのち)の犠牲が必要でした。
〇私たちは、イエス様の十字架による「血の犠牲」によって、神との親密な交わりに入ることができるようになりました。
人間の内側の良心が聖められなければ、神との親密な交わりができません。
・・・十字架の血の贖いを感謝しましょう。