『主を求める心』
【詩42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。42:3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。・・・42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。】①信仰者は、のどが渇くように神を求める時があります。それは悲しみや苦しみを通じてが多いのです。また現実を受け止められない時、自分で自分に「神を待ち望め」と語り掛けることもあります。これが祈りの現実です。そのような祈りを通じて、信仰者は試練を乗り越えていくのです。
『土の器』
【Ⅱコリント4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。】①私たちは時に弱さや恐れ、悲しみや不安を感じる「土の器」のような存在です。しかし神様が「内側」にいてくださるので、負けることはありません。もう自分はダメだと思った時こそ「内側」の聖霊様に目を留める時なのです。
